Scotland
2011年09月23日
2011年 夏 イギリス&スコットランドの旅 10 グラスゴー
8月6日(土) グラスゴー
グラスゴー大聖堂、マンゴー宗教博物館、ケルビングローブ美術・博物館へ

スコットランド教会の大聖堂。12世紀にデビッド1世により創建。
増改築を繰り返し、15世紀頃に現在の姿になった。
宗教改革でスコットランドの教会のほとんどが破壊されたなか、
唯一完全に現存しており、同国屈指のゴシック様式の
建造物として知られる。

ゴシック建築
『12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式。
最も初期の建築は、パリ近くのサン=ドニ(聖ドニ)大修道院教会堂
(Basilique de Saint-Denis)の一部に現存する。
イギリス、北部および中部イタリア、ドイツのライン川流域、
ポーランドのバルト海沿岸およびヴィスワ川などの
大河川流域にわたる広範囲に伝播した。
「ゴシック」という呼称は、もともと蔑称である。
15世紀から16世紀にかけて、アントニオ・フィラレーテや
ジョルジョ・ヴァザーリらが、ルネサンス前の中世の芸術を
粗野で野蛮なものとみなすために「ドイツ風の」あるいは
「ゴート風の」と呼んだことに由来する
(ゴート族の建築様式というわけではない)。
ゴシック建築は、尖ったアーチ(尖頭アーチ)、飛び梁(フライング・バットレス)、
リブ・ヴォールトなどの工学的要素がよく知られており、
これらは19世紀のゴシック・リヴァイヴァルにおいて
過大に評価されたため、あたかもそのような建築の
技術的特徴のみがゴシック建築を定義づけると考えられがちである。
しかし、ゴシック建築の本質は、これらのモティーフを含めた
全体の美的効果のほうが重要で、ロマネスク建築が部分と
部分の組み合わせで構成され、各部がはっきりと分されているのに対し、
ゴシック建築では全体が一定のリズムで秩序づけられている。』
(Wikipediaより引用)

どくろマーク!
ドイツ、スペイン、イタリアなどから団体の
観光客がたくさんいた。
階下に教会。聖マンゴーのお墓。

聖マンゴーのお墓。
教会を飾っていた顔
船をひっくりかえしたような天井。
次に、聖マンゴー宗教生活美術・博物館へ

入り口を入ると 禅風の庭園。
いろんな宗教について紹介してある。
ラファエル前派の様式のステンドグラス。
手のたくさんついている仏像。
ミイラのマスク
ヒンズー教のシヴァ神
シヴァ神の像の解説。
「Shiva has a third eye, which is a
symbol of wisdom.
Hindus believe that their soul will be born again.
This cycle of birth, death and rebirth is called Samsara.
This cycle can sometimes be shown as a circle.
The flames around Shiva are symbols of destruction
and rebirth.
Shiva`s raised left foot is a symbol of freedom.
Shiva is dancing on the Demon of Ignorance.」 etc...
色々な宗教の生死や生き方についての展示

メキシコの死者の日風だな・・・
Fertility Figure 豊饒
Birth 誕生 
Childhood 子ども時代
仏教
キリスト教
ヒンズー教
イスラム教
ユダヤ教

宗教についての子ども向け体験コーナー
クイズや宗教グッズに触れられる。
もちろん大人も楽しめる。
スコットランドの衣装を着た人が!
街中でもパーティーか何かに参加する人が
こうした格好をしていました。
2011年09月18日
2011年夏 イングランド&スコットランド旅行9 グラスゴーとスターリング
8月5日(金)
グラスゴーブキャナンバスステーションから
スターリングへ。
スターリング(Stirling)は、スコットランド中部の都市で、
人口約4万人。
かつてのスコットランド王国の首都で、
歴代のスコットランド王の勅許を
得た自治都市。
スターリング城へ向かう。
スターリングの町のメインストリート。


坂を上っていくと、ホーリールード教会が
みえてきた。
その手前にJail ツアーの案内。
Vicotorian Prison 
ホーリールード(聖十字)教会。
町で最も重要な建築物のひとつ。
現在のホーリールード教会は、1405年にスターリングを襲った
壊滅的な火災の後、1400年代に再建されたもので、
ウェストミンスター寺院を除けばイギリスの中で戴冠式が
挙行されたことのある教会のうち、
たった1つだけ現存している。
1567年7月29日に、スコットランド女王メアリーの
幼い息子がこの地で戴冠し、ジェームズ6世となった。
ジェームズ6世の夭逝した長男ヘンリー・フレデリック
(チャールズ1世の兄)もこの地で生まれた。
17世紀のスコットランド内戦の際には戦地となり、
オリバー・クロムウェルの軍隊による銃痕が
くっきりと教会の塔と後陣に残されている。
スターリング城
お城の前からの眺め
チケット購入 13ポンド。
1648年9月12日に、スターリングの戦いがおこなわれた。
スターリングの要塞は、18世紀のジャコバイトの蜂起の際も
戦略的に重要な役割を果たし続けたが、ジャコバイト勢力は
1715年に城郭の支配権を失った。1746年1月には、
イングランドとスコットランドの王を僭称するチャールズ若僭王
(通称「ボニー・プリンス・チャーリー」)の軍勢が町を包囲したが、
城を攻め落とせなかった。彼らが北方へ撤退する際、
軍需品が保管されていたセントニニアンの教会を破壊したため、
現在その教会は塔のみが残されている。

当時の城の生活、衣食住などについて
子どもにも分かりやすく展示。
James I とMary of Guiseの衣装
レイヤーで、中にどんな服を重ねてきているか
分かる。
ヨーロッパの都市から運ばれて
来た材料を使って作られていた。
別の部屋では・・・
ジェスターという王様たちに仕えた
道化師の仕事の紹介
「Entertaining the king and queen was a
serious job 500 years ago. With no
television, computers or video games,
the royal couple employed jesters to
amuse them with funny pranks,tricks and songs.
The court jesters looked different from everyone else.
They wore a special chequered coat or dress
and a hat with bells and donckey`s ears.
Jester were very clever with words and were only
people who could get away with saying cheeky things
to the king and queen!
James V`s jester was called John Lowes and Mary of
Guise had her own female jester called Senat who
came from France.」
スチュワート朝宮廷と音楽
「When King James V and his French queen
Mary of Guise lived here 500 years ago,
not a day went by without music being played.
The king and queen employed many
talented musicians.
Singing and dancing were part of everyday.
But other activities,
such as poetry, plays, hunting and eating were
also acompanied music.
.....」
木彫り職人
城の外側に石の彫刻でかざった。


1500年代 ジェームズ5世がライオンを
飼っていた場所。
スコットランド王室の紋章にも入っている。

王室への謁見。


スチュアート朝とチューダー朝
スターリング ヘッド
王や女王、ローマの英雄などの
姿が彫られている。
城の一室にスターリングヘッドが
天井にあった