読書録
2012年12月15日
読書録 「民主主義という不思議な仕組み」佐々木 毅を読む2
歴史的にみた民主主義について解説されている部分を抜粋。
「1.ポリスにみる民主主義の原点-めずらしい政治の仕組み」
「人類の長い歴史を振り返ってみると、その多くは独裁政治や専制政治、さらには君主政によって占められてきた。これらは基本的に一人の人間に権力が集中し、他の人々はそれに隷属することを前提にして、統治問題を処理する仕組みでした。これに対して民主主義は、アメリカ独立戦争とフランス革命以後のこの二世紀を除けば、ほとんどその痕跡がないといっても過言ではない。古代のギリシアやイタリア、それに中世の都市国家(有名なものにフィレンツェやベネチアがある)を除けば、その足跡は実に微々たるもの。また、この二世紀をとってみても、民主主義という言葉が本当に広く受け入れられ、大きな権威をもって通用するようになったのは、第一次世界大戦以降。その意味では、わずかにこの百年のことでしかない。
…民主主義という言葉のルーツはギリシアのポリスの政治にある…そもそもこのポリスというもの自身が例外的な存在。ポリスはいろいろな事情があってギリシアに誕生した。それは周辺をエジプトやペルシャなどの専制政治や独裁政治に囲まれた、とても珍しい政治のしくみ。」
「ノモス(法)の権威の下に団結し、『自由』を唱える誇り高い市民団からなるポリス群は、大帝国や大規模な専制政治からなる周辺諸国には、違和感のあるものに映った。両者の関係は、やがて軍事衝突に発展する。ペルシャ大王ダレイオスやクセルクセスの大軍がギリシアに攻め入った、有名なペルシャ戦争…この戦争はマラトンの戦い、テルモピュライの攻防戦、サラミスの海戦、プラタイアの戦いなど、後世に伝えられる有名な物語と次々の英雄を生み出した。この戦争はギリシア世界に勝利をもたらし、ポリスが生き延びることを許すことになったのと同時に、それを超えた重大な遺産を残すことになった。この戦争を通してポリスの独自性への認識と自信が、ギリシア世界において確立することになったのみならず、それはやがてヨーロッパと他の世界(代表的にはアジア)を分けて考える発想の原点になった。」
ペルシャ vs ギリシャ ―「自由の」の理解の違い
「『歴史の父』といわれるヘロドトスによれば、ペルシャ大王クセルクセスは二百万以上の大軍を率いてダーダネルス海峡を渡り、ヨーロッパでさらに加勢した軍勢を率いてギリシア本土に攻め込んだ。ペルシャの大軍の到来を知ると、多くの諸民族は抵抗を止め、争ってその加勢にはせ参じた。彼は、ギリシア人もこの大軍を目にすれば、当然その『自由』を進んで放棄するのではないか…」
「独裁政治や専制政治が特定の人間に対する恐怖によってのみコントロールできる、それ以外にはコントロールのしようがない、という考えに立っている。そこには、放任状態としての『自由』しか残らない。対してギリシア式では、ポリスの人々にとっては法という共通の非人格的ルールに対する服従がすべてに優先し、そこでは法に対する自発的な服従が広く定着している。『自由』は個々人にそくして考えれば放任状態とは無縁であり、各人の法への厳格な服従によって初めて実現するものだった。」
「『自由』の理解が全く違う。ポリスでは、鞭ではなく、言論(説得)が人々を動かす主たる道具だった。目の前で特定の権力者が鞭を振るい、それが恐怖感を与える限りにおいて服従するのがペルシャ方式であるとすれば、ギリシャ方式は指導者もまた法の下にあり、彼への服従はあくまでも法への服従の結果。」
「法の下での平等な関係を踏まえた自治の世界、政治共同体がポリス。ポリスの『自由』があってこそ、市民は政治の場に積極的に参加して自らの能力を発揮し、その記憶を後世に記すことが期待できた。」
「これに対して『隷属』はこうした自治的な世界を失い、ペルシャ大王といった権力者にひたすら『隷従』し、私的な世界に埋没することを意味した。」
「ペルシャ式の仕組みにあっては、最高権力者が肝心であり、それを決めること、それをめぐる紛争を処理することが最も大事。いったん、最高権力者が決まってしまえば、後はその権力を効果的に執行する行政の仕組み、つまり官僚制を整備することに全てはつきた。
古代エジプトなどの世界において、早くから精緻な官僚制が発達した。」
「これに対してギリシアのように自治を基本にした所では、政治の仕組みを複雑に作らなければならない。誰が政治に参加するのか、どのように参加するのか、どのような役職を配置し、どのような任期で運営するのか、こうしたことを決めておかなければ、自治は動かない。自治というのは、政治的な意思決定のための仕組みの方を入念に整えることによって、初めて実現する。古代ギリシアにおいて、政治についての議論が活発になり、政治学が誕生することになった背景には、こうした事情がある。」
ギリシアの民主政が辿った道
「政治の仕組みの一つとして、民主政が誕生していくが、ギリシア世界においては全ての人間が自由人ではなかった。数多くの奴隷がおり、彼らは個々の家に属し、政治といった公的活動とは全く関係なかった。…誰もが自由で平等である『基本的人権』の考えとは程遠い世界だった。」
「自由人という立場は羨ましい、尊敬すべき立場。政治は自由人がその『自由』の意味を明らかにする場、特に不朽の名誉や名声の獲得、その後世への伝達ことが最高の関心事。ギリシアにおけるポリスへの異常なまでの献身の背後には、こうした人生観があった。生命や富はさほど尊敬に値するものとは考えられていなかった。政治的発言権をどのように配分するかは大きな争点だった。」
「政治的発言は、戦争への参加能力と深く結びついていた。貴族たちが騎兵中心に戦っていた時代は、政治参加の範囲は限定的だったが、マラトンの戦いのように重装歩兵の集団的戦闘が広がると、自ら武装するだけの土地財産を持つ人々の発言力が高まっていった。」
「ギリシアの民主政の大きな転機となったのは、サラミスの海戦。海軍が重要な役割をもつようになった。海軍は十分な財産を持たない貧しい人々を、漕ぎ手として大量に動員することにつながり、結果として彼らの政治的発言力を大いに強化するようにつながった。
やがてアテナイにおいては、民主化が徹底し、民主政という政治のしくみが定着するようになった。」
「経済的な余裕のある人々が発言権を持っていた体制から、貧しい者が影響力を持つ体制へと変わることになった。貧しい人々の政治参加のため、日当を支払う、また有力者の影響力を排除するためにくじ引きの制度化という仕組みが導入された。」
「ペルシャの脅威が一段落すると、やがてギリシア世界は、アテナイとスパルタの覇権争いによって、深刻な内部分裂に見舞われた。アテナイは民主政の味方として他のポリスの民主派と手を結び、スパルタは少数者、有力者、金持ちが支配する寡頭制の後ろ盾となり、それぞれのポリスはこの両者に分裂して、凄惨な内乱状態に陥ることになった。そして復讐が復讐を呼び、かつて人々の上に君臨していた法の権威はすっかり地に堕ちてしまう。」
「法はもはや、一方の党派が他方を支配するための道具になってしまった。『戦史』はポリスの解体現象を冷酷に描き出している。」
「はげしい対立の歴史を経ながらもポリスは存続し続け、民主政は生き延びていましたが、北方に台頭した新興のマケドニア王国に屈服し、アレクサンドロス大帝国の一部でしかなくなったとき、ギリシアの民主政はその生命を終えた。」
代表制を伴った民主政治の誕生
1 契約に基づく権力と法の支配の新展開
封建制から特権と条件付契約へ
「イギリス人の自由の守護神」と崇められてきた文書に「大憲章(マグナカルタ)」がある。これは、国王ジョンと封建領主らとの間で、長く続いた抗争の果てに結ばれた契約文書。この文書で主は、封建領主や商人たちのさまざまな権利を守ることを宣言し、服従を得ようとしている。土地の相続など基本的に身分社会において認められたそれぞれの身分に応ずる権利(特権)が内容。人間一般の権利の擁護、その意味での自由の擁護が内容ではない。この点で現代の人間宣言とは違った文書。
しかし、最高権力者である王に封建領主らの特権を認めさせ、その限りで「法の支配」を実現した文書であることは確か。王はその特権を尊重しなければならず、それによって制限されている。臣下の王に対する服従はあくまで「条件付き」、王の権力は一種の契約関係に根拠を持つものとみなされている。支配服従関係。
「法の支配」と政治的支配を契約関係として考える特権として考える発想を生み出したのは中世であり、特に封建制という仕組み。王権と特権との政治的妥協の場として登場したのが議会。この議会は身分を代表するものであり、貴族を代表とする上院と庶民院とに分かれていた。
また中世ではローマ教皇が絶対的な権威を持ち、政治権力は常にそれに対して劣位にあった。この教皇の権威は、中世世界が何よりも一種の信仰共同体であったことに由来している。それを象徴する有名な事件にカノッサの屈辱がある。これは、皇帝が教皇によって破門され、その臣下たちがこうした皇帝に対する屈辱義務から解放されて、皇帝権力が一気に雲散霧消したため起こった事件。「大憲章」に登場するジョンも、教皇のこうした措置によって服従させられたことがあった。政治権力が契約関係に基づくということは、契約が解除されれば政治権力は一気に崩壊することを意味する。
人間の人間としての権利
「16世紀に登場する絶対主義は、「法の支配」と「契約に基づく権力」という発想から、権力者が自由になろうとする政治的企てだった。つまり、無制限な権力の新たな主張の試み。そのため、特権としての権利を守ろうとする諸身分との抗争が、延々と続くことになりました。
ところが、この両者の間隙をついて全く新しい思想が登場してくる。それは人間が生来自由平等であるという原則に立つ、「人間の人間としての権利(基本的人権)」を擁護する立場。17世紀中葉のイギリスでピューリタン革命が発生し、王権は一時打倒された。反王権派内部におうて、特権を擁護するグループと「人間の人間としての権利」を主張する立場とが激しく対立。特権擁護グループの拠り所は「大憲章」であり、歴史と伝統がその根拠。これに対して後者は自然と理性といった普遍的な原理の名の下に自らの主張を基礎づけた。」
フランス革命と国民国家
「王権と特権との対立という構図を一挙に解体し、自由で平等な人間からなる政治社会、国民国家を誕生させたのがフランス革命。わずか数か月の間に、身分制議会であった三部会が国民議会に変貌し、特権の廃止に続いて「人および市民の権利宣言」が発っせられ、「人の譲渡不能かつ神聖な自然権」は政治の仕組みの基本原則になった。そしてすべての権力は、社会契約に参加する人々の集団である国民に帰属することも宣言された。
「あらゆる主権の原理は、本質的に国民である」という大原則は、国民が憲法を制定する権利を持つという形で現れた。そして日常的に活動する権力がどのようなものであり、誰がどのような手続きでその担い手になるかといったことは、憲法によって定められる。
政治の仕組みをどうするか、という問題については、国民・人民主権が広範に承認されても直ちに解決はされなかった。フランス革命以降は、革命とクーデターにしばしば見舞われ説得的モデルを示すことはできなかった。」
読書録 「民主主義という不思議な仕組み」佐々木 毅 を読む1
「民主主義は実に不思議な仕組み。…何千万人もの人々が投票をして政治の行方を決定するというのは、全く気の遠くなるような話… 大変な手間がかかるし、お金もかかる…それだけではなく、投票する人は本当に何を考えて投票しているのか、そもそも自分でわかっているのでしょうか…」
「分かったつもりでも、本当は騙されたり、間違った情報に従って投票したりしているのではないか…。それどころかかなりの数の人々は、何も考えないでテレビに映った政治家の見かけやスタイルに引きずられて、投票所に足を運んでいるのでは…」 「国民の何割もの人々が、投票権があるにもかかわらず、その日にどこかに出かけたり、面倒などといって投票に行かなかったりする。」 「それでも国民の審判が下るというのはどういうことでしょう。」 「そういうことで昔から、優れた徳のある、十分な教育を受けた少数の人間が政治を取り仕切るのが、政治のもっともよい姿であるという主張が繰り返されてきた(もっともこうした優れた人間が誰のことであり、誰がそれを発見するかは簡単ではない)。」 「民主主義を一度も経験したことのない社会や世代は、民主主義をとにもかくにも『素晴らしいもの』と考え、そうした立場に立ってそれを描き、讃えようとする。しかし、長い間にわたって民主主義を実践し、体験し、その実情を目にすることが増えてくると、こうした議論はなかなか人々の賛成を得られなくなる。いろいろと訳のわからないことや、いい加減なことが数多くあることを否定できなくなるから。」 「問題はその先…『それでは他にどんな方法があるのか』」 「21世紀は『民主主義の世紀』と呼ばれたように人類は実にたくさんの政治上の実験を行ってきた。整然とした政治実現のための仕組みや、本当の意味での『人民のための政治』を実現するための試みも行われた。ファシズムや共産主義はその代表例といえる。」 「民主主義に対するさまざまな批判は、確かに鋭く説得的にみえたにもかかわらず、それに代えて実行に移した代案をみると、その結果は決して芳しいものではなく、民主主義以上に惨憺たるものだった。」
2012年11月23日
2012年08月27日
読書録「日本の外国人労働力」を読む

副題~経済学からの検証~
中村 二朗、内藤 久裕、神林 龍、川口 大司、町北 朋広 著
日本経済新聞出版社
わが国の生産に従事可能な人口の今後の推移→減少が予想されてる
労働供給の不足
↓
労働力率上昇
生産性を高める
外国人労働者の導入
高度な技能・技術を身につけた外国人労働者の受け入れについては
受け入れ国に一定のメリットがあることが分析されている事例が多くある。
単純労働者の場合は?
外国人労働者と自国民労働者の関係(代替的か補完的か)
受け入れのためのコストの存在
自国民労働者への賃金以外の影響など
色々な要因が影響し、その効果を厳密に把握するには多くの困難が伴う。
また、高度な技能・技術を身につけた労働者と単純労働者では
社会的な需要人数が大きく異なる。
業種、学歴など具体的な資料から検証されている。
読書録 「多文化共生社会と外国人コミュニティの力

吉富 志津代著
副題「ゲットー化しない自助組織は存在するか?」
目次
序章 グローバル化する社会
第1章 在日外国人をとりまく社会の変遷
第2章 移民政策の国際比較(ドイツ、オーストラリア、カナダ)
群馬県大泉町の労働者受け入れ実態
第3章 自助組織の背景と形成~兵庫県の事例より~
第4章 多文化共生社会をめざすことの意味
終章 多文化コミュニティーセンター構想へ
日本や世界の移民を取り巻く環境や法制度について
具体的に描かれている。
キーワード:「市民権」「出入国管理」「社会統合政策」
「外国人自助組織」「同化主義」「多文化主義」
「単純労働」
「『1990年出入国管理及び難民認定法』一部改正」→身分関係の在留資格で門戸を開き、
多くの日系南米人が来日。
「1951年 サンフランシスコ平和条約」
(在日朝鮮人が『帝国臣民』から一転して「外国人」と宣告された)
「『1982年 難民の地位に関する条約』批准」→在日外国人が国籍ではなく住民である
ことを優先される社会の扉が開かれる
経済格差による外国からの労働者流入が本格化:1980年代 労働者の流入本格化(イラン、タイ、フィリピン)
「1972年 日中国交正常化」 中国残留孤児・婦人に国費負担による日本への帰国の道が開かれる
「外国人」の突如の出現に慣れていない地域社会→さまざまな混乱。しかし混乱を乗り越えつつ
生活に密着した支援活動が開始された。
1995年の阪神淡路大震災の発生により、地域住民の隣人意識の大切さが見直される。
外国人も含む地域の街づくりへ
市民活動 → 善意の個人による奉仕活動からNGO/NPOという組織的な活動主体へと移っていった。
1998年 特定非営利活動促進法の制定へ
公的機関のスリム化+市民活動の高まり+外国人の増加と定住化
関西における外国人コミュニティの自助組織の取り組みや生活について
とてもわかりやすく描かれている。
時代の流れや、各国の政策などについても言及されていてわかりやすい。