Jordan

2004年10月24日

アラビア語の生い立ち

アラビア語はセム語という語族に属している。
その起源は、古代エジプトの象形文字にまで遡る。
地中海のフェニキア人(BC1000年頃)がその象形文字より
いくつかの文字の音だけを使い、アルファベットの原型を
創り出した。
その後幾度となく、改良されてギリシア文字やアラム文字
(BC13C~BC8Cに北アラビア地域にいたアラム人の文字)
や南アラビア文字(BC8C~AD6Cに今のイエメン地域に
いた人種の文字)などが生まれた。

現在のアラビア語は、そのアラム文字から発展を続けて
今のヨルダン辺りに栄えたナバタタイ人のナバタイ文字を
経て現在のようなアラビア語になったといわれている。

現在アラブ諸国21カ国及び国連の公用語の1つ。
イスラーム圏の宗教語として
数億人を擁するイスラーム諸国の言語にも
大きな影響を及ぼしている。

at 12:23|Permalink

2004年07月14日

ヨルダン::アカバ

4月11日
ヨルダンのぺトラを出て、その後アカバに
向かう。ここで宿をとる。

目の前が海で、なかなかよい眺め。
イスラムの国の中でも、港町で色々な
国の人たちが行き来しているので、
華やかな感じがする。
アカバ城。
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at 16:34|Permalink

2004年07月13日

ヨルダン::ぺトラ

ぺトラと死海を訪れないでヨルダンにきたとはいえない、という。
インディージョーンズの映画で有名になったこの都市は、
岩のカーテンをくぐっていくと、現れる神殿や、王の墳墓など
岩の模様の美しさ、形など比類のないもので
写真をとらずにはいられない。
ナバタイ族の首都としてアラブ時代、紀元3世紀にできた。
ぺトラは千年もの間、忘れ去られ、1812年発見された。

発見から1980年まで、ベドウィンの住処として使われていた。
しかし、現在では一日3000人もの訪問者がある。


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ぺトラ
Water Canalからエル・ハズネへ出るところ

at 17:54|Permalink

2004年07月12日

ヨルダン::ぺトラ

ヨルダンのアンマンから南下してきた。
Kings Highway 王の道という歴史的な街道がある
ということだが、一般のバスでは通れない。
国土の80%が砂漠であるヨルダンで、
このあたりは、さらに乾燥している。
シリアでは、春先緑が多く見られたのに
その差に驚く。水も輸入しているという。
昨今のイスラエルとの領土をめぐっての争いは
水などの資源のとりあいでもある様子。
夏本番を前にして、乾燥と暑さとで本当にまいった。
遺跡を巡るには早朝と夕方をお勧めする。
(歩くのみでなく、ロバなどでめぐることもできる)

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ぺトラ。ナバテア人に扮した人。

at 17:52|Permalink

ヨルダン::ぺトラ

シークと呼ばれるWaterCanalを1.5キロほど
歩いていく。日陰で涼しい。
ここはモーゼが杖でたたいて割れた
といわれている。
要塞のようなこの古代都市は
旅人の安全を保障するような
つくりになっている。
エル・ハズネは、宝物殿。
王の霊廟とも言われている。

ここを過ぎると、王家の墳墓がある。
500を数え、ビザンツ時代には、教会と
して使われていた。
また、ローマ時代の柱や凱旋門もある。

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ぺトラ
エル・ハズネ

at 17:51|Permalink