Agouti(アグーチ)について読書録「取り返しのつかないものを 取り返すために」を読む2

2011年10月16日

読書録「取り返しのつかないものを、取り返すために」を読む1

岩波ブックレット No.814

副題 大震災と井上ひさし
大江 健三郎、 内橋 克人、なだい なだ、小森 陽一 著

2011年 4月9日におこなわれた「鎌倉・九条の会」主催による
「憲法のつどい 2011 鎌倉」での講演を加筆し収録したもの。

よびかけ人の一人、井上ひさしさんがなくなってちょうど1年に
あたる日。


印象に残った部分を抜粋。
「『がんばれ日本』と言います。あるいは『日本の力を信じよう』と叫びます。
・・・あたかも大義ででもあるかのごとく振りかざす空々しい言葉、・・・
当事者ではない者の放つ『ひとごと』ゆえの言葉です。」

「阪神・淡路大震災でも、外から『がんばれ!』の言葉が無限に
降ってきました。けれども当事者は、それによってどのような
心境になったでしょうか。」

「『もうがんばれはけっこうだ。・・・国として、政治として公的な
支援は、どうなっているのか。』・・・そして、そのような『がんばれ』
の大合唱のあいだに、時の村山富市首相は国会で何といったか。
『自然災害等によって生じた被害に対して(国は)個人補償はしない、
自助努力によって回復してもらう』(1995年5月19日 参議院予算委員会)」

「『がんばれ日本』『日本の力を信じよう』・・・そのように氾濫する言葉の
裏側で、いったいなにが進んでいるのか。もっともっと鋭い感性を
働かせるべきではないか、・・・」

「いま私たちが生きる国のこうしたあり方、たとえば世界にも稀な
『原発過密列島』がいつ、どのようにしてつくりあげられたのか、
それを問わなければなりません。私たち国民は、いつ、こんな『国策』
に合意を与えたでしょうか。国民的合意もないまま、私たちの生きる
この小さな地震列島を、海岸沿いに原発で囲い込む。しかも国策として
・・・。この『合意なき国策』はだれが、どのようにして進めたのか?」

「被災者の『救援』に懸命になることと、このような国策を進めた政治の
責任を『糾弾』することとは、明確に峻別しなければならないと思います。
それこそが真の『救援』です。」

「救援が先行しなければなりません。けれどもそういう声の合間に、
なにがあったかと申しますと、当時の首相は『自然災害に個人補償はない』
と国会で明言なさった。・・・それで、市民・議員立法の運動-が盛り上がった
・・・。」

「・・・震災から9年もたって、ようやく「住居安定
支援制度」が制度化されました・・・対象があまりにも限られている。家を
失った人は、自分の力でもう一度家を建てるほかにない・・・二重ローンに
苦しむ人びとは今も少なくありません。震災被害の激しかった地域では、
いまなお自殺率が突出して高い。・・・16年を経てもなおも震災は終わって
いない・・・これで『日本の力、信じよう』とは!」

「多くの先進国では、人が生きていくのに必要な居住空間を保障する
ことは国の責任とされています。この制度がないばかりでなく、考え方さえ
概念さえ、私たちの国には存在していない。」

「1982年、そのころ『原発100基構想』といわれ、いつの間にか『原発
122基構想』にまで膨れあがっていた時期もありました。この狭い日本
列島に少なくとも100基もの原発基地を作る、と言っていたのです。
いま、54基です。管直人政権の決めた「エネルギー基本計画」では
さらに14基の原発を新増する、と。計68基。」

「民主国ならば、どの国においても国民、住民の「自由なる意思」と
いうものが、新設も、廃炉も決める。・・・1989年、カリフォルニア州
サクラメントのランチョ・セコという原子力発電所は、自由なる住民
投票によって廃止された。いまは、廃炉となった原子炉建屋と
地つづきの隣接地に、太陽電池のパネルを敷き詰めた格子状の
黒いパネルがひろがっている。経営を担っているのは、
自治体と地元住民の出資によって設立された『サクラメント市営電力
公社』」

「住民の意思、国民の意思によって国民的コンセンサスをもって
原子炉を廃止することができる。これに比して私たちの社会では
いったいいつの間に『原発122基構想』なるものまで、持ち上がる
国になってしまったのでしょうか?国民的な合意もないままに、
いつの間にか、『過密なる原発列島』ができあがっていました。」





dragonfruit123 at 09:40│Comments(0)TrackBack(0) 読書録 

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