2015年09月
2015年09月27日
2015年 夏 ブルガリアへの旅 2
8月7日(金) べリコタルノボへ。
朝食後、中央駅へ。
ベリコタルノボ行きのチケット購入(20Lv=1200円くらい)。

バスの駅は新しくてきれいだった。
Ka∮e Лate(カフェ ラテ)を2階のカフェバーで飲む(ネスカフェだった)。
キリル文字になかなか慣れない。 ソフィアはCo∮iЯ。
ベリコタルノボは、BeЛИko TbpHoBo.
(よく思い出せないので大文字小文字混ざっています)。
よく知っている外国の都市名も綴りが変で違和感がある。
例えば
ЛoHgoH (ロンドン)
クイズみたい・・・

バスターミナル。
9:00出発。
道にはよくひまわり畑が広がっていた。
12:30べリコタルノボ着。
********************
ブルガリア中央部に位置する。国土の東西に
横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈
の東部にある人口7万人の地方都市。
森に囲まれたいくつもの丘とヤントラ川の
切り立った崖が美しい。
1187年~1393年に第二次ブルガリア
帝国の首都だった。
イヴァン アッセン王の最盛期には
ビザンツ帝国も圧倒し、バルカン半島の
ほぼ全域を支配したこともあった。
アッセン王の死後に衰退を始め、ビザンツ
帝国に屈服、1398年には オスマン朝との
3か月の首都攻防戦の後、ついに滅亡。
タルノボが脚光をあびるのは、500年にわたる
トルコ支配からの独立を達成した1879年から。
********************
ホテルに荷物を置いて、昼食のレストランを探す。
旧市街のハッジ ニコリ インへ。
1858年に建てられた家屋をレストランとして
使っている。


チーズののったサラダ(ショプスカ サラタ) 5Lv
鳥のスープ(ディレシュカ スーパ) 5Lv
ベジタブル リゾット 5Lv
ホームメードロール 1Lv
ワイン
24Lv(=1400円くらい)

一つ一つが量が多く、リゾットは2~3口くらいしか
食べられなかった。1品で2人分くらい量がある。

昔のべリコタルノボの町の写真。
食事の後、この辺りサモヴァドスカタ チャルシャという
地区を散策。チャルシャは市場という意味。
手工芸品のお店が並び、石畳の通りと相まって
よい雰囲気。

陶器とガラスのお店。

骨董品のお店。

鉄のヘルメットやスターリンの絵とか売っている。

旧家の造り。下の階より大きくかぶさっている感じ。

ぶどう棚のある家。
朝食後、中央駅へ。
ベリコタルノボ行きのチケット購入(20Lv=1200円くらい)。

バスの駅は新しくてきれいだった。
Ka∮e Лate(カフェ ラテ)を2階のカフェバーで飲む(ネスカフェだった)。
キリル文字になかなか慣れない。 ソフィアはCo∮iЯ。
ベリコタルノボは、BeЛИko TbpHoBo.
(よく思い出せないので大文字小文字混ざっています)。
よく知っている外国の都市名も綴りが変で違和感がある。
例えば
ЛoHgoH (ロンドン)
クイズみたい・・・

バスターミナル。
9:00出発。
道にはよくひまわり畑が広がっていた。
12:30べリコタルノボ着。
********************
ブルガリア中央部に位置する。国土の東西に
横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈
の東部にある人口7万人の地方都市。
森に囲まれたいくつもの丘とヤントラ川の
切り立った崖が美しい。
1187年~1393年に第二次ブルガリア
帝国の首都だった。
イヴァン アッセン王の最盛期には
ビザンツ帝国も圧倒し、バルカン半島の
ほぼ全域を支配したこともあった。
アッセン王の死後に衰退を始め、ビザンツ
帝国に屈服、1398年には オスマン朝との
3か月の首都攻防戦の後、ついに滅亡。
タルノボが脚光をあびるのは、500年にわたる
トルコ支配からの独立を達成した1879年から。
********************
ホテルに荷物を置いて、昼食のレストランを探す。
旧市街のハッジ ニコリ インへ。
1858年に建てられた家屋をレストランとして
使っている。


チーズののったサラダ(ショプスカ サラタ) 5Lv
鳥のスープ(ディレシュカ スーパ) 5Lv
ベジタブル リゾット 5Lv
ホームメードロール 1Lv
ワイン
24Lv(=1400円くらい)

一つ一つが量が多く、リゾットは2~3口くらいしか
食べられなかった。1品で2人分くらい量がある。

昔のべリコタルノボの町の写真。
食事の後、この辺りサモヴァドスカタ チャルシャという
地区を散策。チャルシャは市場という意味。
手工芸品のお店が並び、石畳の通りと相まって
よい雰囲気。

陶器とガラスのお店。

骨董品のお店。

鉄のヘルメットやスターリンの絵とか売っている。

旧家の造り。下の階より大きくかぶさっている感じ。

ぶどう棚のある家。
2015年09月26日
2015年 夏 ブルガリアの旅 1
8月5日から14日までブルガリアへ。
8月6日 ソフィア
8月7日 ベリコタルノボ
8月8日 ベルコタルノボ アルバナシ村へ
8月9日 プロウディフ
8月10日プロウディフ
8月11日バンスコ
8月12日バンスコ
8月13日ブラゴエフグラッド
8月14日ブラゴエフグラッド サンダンスキ メルニック村
8月15日ソフィア
8月16日ソフィア
8月17日ソフィア-帰路
0:45 羽田発- 5:30 ドーハ着
7:30 ドーハ発-12:30 ソフィア着
ドーハから乗った飛行機の隣の席の人は
セルビア人の20代の女の子。中国で
英語の先生をしているとのこと。
同じ飛行機がソフィア経由でベオグラードまで
ソフィア着後、空港で2万円ほど両替。(=268レヴァくらい)
ブルガリアはタクシーの詐欺なども横行している
ようだったのでとりあえず安全といわれている
OKタクシーという黄色いタクシーにのる。

カタール ドーハ空港。最近新しくなった。ぴかぴか。
お土産やさんも現在まだオープンしていないところ
もある。

中東名物 デーツ(なつめやし)。
ブルガリアは日本の3分の1の国土に
732万人ほどの人口の国。

ホテル(中央駅近く)から
街中へ行く途中。ライオン橋。
日本よりからりとしていて
空がきれい。

市場をみかけた。

縦長のすいか、とうもろこし、おいしそう!

町のパン屋さん。

ソフィアのトラム。

聖ネデリャ教会
丸い屋根のブルガリア正教教会。
もとはささかやかな木造の教会だった。
オスマン朝からの解放後、周辺にあった
いくつかの私有の教会や神学校を
集めてこのような建物になった。

教会の中。5レヴァ払うと写真を
とらせてもらえた。

丸天井。

イコンがとても美しい。

1925年には、この教会で行われていた
葬儀に出席した国王を狙った爆弾
騒動が起こったそう。

天井からシャンデリア。この祭壇の向こうは
天国なのだそう。

旧共産党本部。

聖ゲオルギ教会
シェラトン ソフィア ホテル バルカンの裏側に
ある。周囲をビルに囲まれたところに建っている。
4世紀にローマ帝国によって建設されて以来、
長い歴史を伝える貴重な建物。教会の背後には
ローマ時代の浴場跡がのこる。
現存するソフィア最古の教会。

聖ニコライ ロシア教会
1913年にロシアの外交官の命に
より聖ニコライを祀るために建立
された教会。ロシアとブルガリアでは
同じ正教といっても宗派が違うため、
自らの宗教上のアイデンティティを
守るために建立を思い立ったとい
エピソードがある。
丸い天井の教会とは違い
玉ねぎのような金色の屋根が
特徴的だとおもった。また、イコンが
教会の入口にある。
私が見た時は、黒装束の女の人が
3人ほど入っていった。

アレクサンダル ネフスキー寺院
5000人を収容するブルガリア最大で最も美しい
といわれる寺院。
高さ60Mの金色のドームをはじめ12のドーム
からなるネオ・ビザンツ様式の豪華な建物。
この寺院はブルガリア独立のきっかけとなった
露土戦争で戦死した約20万人のロシア人兵を
慰霊する目的で建立。1882年着工。40年かけて完成。

大統領官邸。

たまたま前を通りかかったら、交代式をしていた。


足を高く上げて行進。
ソフィアの町を散策して1日目終了。
2015年09月21日
2015年 春 ベトナム中部への旅2
2015年3月26日(木) ベトナム ミーソン遺跡・ホイアン
ミーソン遺跡を1時間半くらい見学して帰途へ。
バイクタクシーにも慣れてきた。
途中に雨期のためか田んぼの間のバイクの
通る道が水であふれているところがあったり、
豚を竹の大きなかごに入れてバイクを
運転している人を見かけたり・・・
バイクのおじさんはとても穏やかないい人だった。
ホイアンに戻り、昼食。
Thung Bac(チュンバック)というお店へ。

カオ・ラウという太めの米の麺がおいしいお店。
Ga(チキン)のカオラウを注文。

あと、ホワイトローズというワンタンも(50,000ドン)。

2つともホイアン名物。
量は少なめでかえって丁度良い。
古い建物のレストラン。漆黒の机や椅子がいい。
昼食の後は、日本橋、馮興家、進記家
中華会館(陳祠堂)などに行く。
5枚つづりのチケットを購入。

ホイアン
ホイアンの歴史はチャンパ王国時代からはじまり、
その後、貿易港として栄えました。17世紀からはじまった
貿易により、日本と中国とも親交を深め、
三ヶ国の建築様式が混じり合った建物が今でも数多く残っている。
1999年には、その歴史的価値が認められて世界遺産に登録された。
洪水、日本、中国、ベトナムの文化の影響
を受けている。ホイアンには約19の民家、
寺、博物館などの見どころがある。

Duc Anという漢方薬のお店


二階に上がる。調度品が素敵。

廣肇會館
會館とは中国人のための集会所のようなところ。
厳密に言えば寺院ではない。
でも、祀られている神もいる。また、参拝
に訪れる人もいる。會館の見所は中国様式です。
随所に見られるゴージャスな装飾は中華秩序そのもの。

この天井から釣り下がっているのは線香。
こんな線香初めて見た。

下からみたところ。火がついている。全部燃えるのに
どれくらい時間がかかるんだろう・・・。

日本橋。屋根付きの橋。
正式名称は来遠橋。16世紀終わりに、日本人と中国人、
そしてベトナム人が造ったとされている。
日本橋は通過するのは無料だけれど
中の祠をみる時はチケット必要。

20,000ドンのお札の裏にも載っている。

橋の中ごろに祠があった。

祠の前にフランス人観光客。その後ろを
ベトナム人のおばあさんが通っていった。
小さいおばあさんだったけど、
野菜を天秤のようなものに乗せて
運んでいた。

チャンフー通り。

カラフルな器。箸や小物入れ、絹製品など
売っている。

Cam Ho Communal House
ホイアンの伝統的な家屋。

家屋内。Banyan Treeが使われている。

2階からの眺め。日本橋のすぐ近く。
ホイアン名物のランタンも掛かっている。

進記家(タンキーハウス)
ミーソン遺跡を1時間半くらい見学して帰途へ。
バイクタクシーにも慣れてきた。
途中に雨期のためか田んぼの間のバイクの
通る道が水であふれているところがあったり、
豚を竹の大きなかごに入れてバイクを
運転している人を見かけたり・・・
バイクのおじさんはとても穏やかないい人だった。
ホイアンに戻り、昼食。
Thung Bac(チュンバック)というお店へ。

カオ・ラウという太めの米の麺がおいしいお店。
Ga(チキン)のカオラウを注文。

あと、ホワイトローズというワンタンも(50,000ドン)。

2つともホイアン名物。
量は少なめでかえって丁度良い。
古い建物のレストラン。漆黒の机や椅子がいい。
昼食の後は、日本橋、馮興家、進記家
中華会館(陳祠堂)などに行く。
5枚つづりのチケットを購入。

ホイアン
ホイアンの歴史はチャンパ王国時代からはじまり、
その後、貿易港として栄えました。17世紀からはじまった
貿易により、日本と中国とも親交を深め、
三ヶ国の建築様式が混じり合った建物が今でも数多く残っている。
1999年には、その歴史的価値が認められて世界遺産に登録された。
洪水、日本、中国、ベトナムの文化の影響
を受けている。ホイアンには約19の民家、
寺、博物館などの見どころがある。

Duc Anという漢方薬のお店


二階に上がる。調度品が素敵。

廣肇會館
會館とは中国人のための集会所のようなところ。
厳密に言えば寺院ではない。
でも、祀られている神もいる。また、参拝
に訪れる人もいる。會館の見所は中国様式です。
随所に見られるゴージャスな装飾は中華秩序そのもの。

この天井から釣り下がっているのは線香。
こんな線香初めて見た。

下からみたところ。火がついている。全部燃えるのに
どれくらい時間がかかるんだろう・・・。

日本橋。屋根付きの橋。
正式名称は来遠橋。16世紀終わりに、日本人と中国人、
そしてベトナム人が造ったとされている。
日本橋は通過するのは無料だけれど
中の祠をみる時はチケット必要。

20,000ドンのお札の裏にも載っている。

橋の中ごろに祠があった。

祠の前にフランス人観光客。その後ろを
ベトナム人のおばあさんが通っていった。
小さいおばあさんだったけど、
野菜を天秤のようなものに乗せて
運んでいた。

チャンフー通り。

カラフルな器。箸や小物入れ、絹製品など
売っている。

Cam Ho Communal House
ホイアンの伝統的な家屋。

家屋内。Banyan Treeが使われている。

2階からの眺め。日本橋のすぐ近く。
ホイアン名物のランタンも掛かっている。

進記家(タンキーハウス)
200年以上の歴史を持つ進記家。
1985年にホイアンで最初の文化遺産に登録され。
現在は7代当主がこの家を守っている。
ベトナム、日本、中国の三か国の
建築様式がミックスされた味わい深い
建物となっている。
建物のごく一部を除き、ほとんどは修復を
重ねて当時のまま残っている。
無料でお茶も頂ける。
柱の足元。洪水の時のために
丈夫に作られている。
洪水の時の様子。家の壁にも水位の跡が
残っていた。
先代の写真などが掲げられている。
楽器(ドラやおりん)を売るお店。
ここで中くらいの大きさのおりん
(25ドル)を購入。
2015年09月20日
2015年 春 ベトナム中部への旅1
春休みにベトナム ダナン、ホイアンへ。
3月25日(水) 10:30 フライト ハノイへ。
ハノイの空港が新しくなっていた。
ハノイ17:00 - ダナン18:00。
ダナン空港着。タクシーで3KM 離れた市外へ。72000ドン(2万ドン=1ドルくらい)。

夕食は近くの屋台のフォー。30000ドン(約200円)。
3月26日(木)
7:30 タクシーでホイアンへ。

五行山。

五行山 付近は、大理石が取れる。タクシーが
なぜか大理石の店に立ち寄った。
9:00 ホイアン着。
街角の旅行会社でミーソン行きのツアーがあるか聞く。
車をハイヤーすると50ドルくらいかかるとのことで、
バイクタクシーで行くことに。往復15ドルくらい。
初めはバイクの後部座席に乗ること自体慣れていなくて
落ちるんじゃないかと思ったけれど、
田園風景を眺めながら慣れるに従い楽しくなってきた。
11:00 ミーソン遺跡着。


山々に囲まれた遺跡。




3月25日(水) 10:30 フライト ハノイへ。
ハノイの空港が新しくなっていた。
ハノイ17:00 - ダナン18:00。
ダナン空港着。タクシーで3KM 離れた市外へ。72000ドン(2万ドン=1ドルくらい)。

夕食は近くの屋台のフォー。30000ドン(約200円)。
3月26日(木)
7:30 タクシーでホイアンへ。

五行山。

五行山 付近は、大理石が取れる。タクシーが
なぜか大理石の店に立ち寄った。
9:00 ホイアン着。
街角の旅行会社でミーソン行きのツアーがあるか聞く。
車をハイヤーすると50ドルくらいかかるとのことで、
バイクタクシーで行くことに。往復15ドルくらい。
初めはバイクの後部座席に乗ること自体慣れていなくて
落ちるんじゃないかと思ったけれど、
田園風景を眺めながら慣れるに従い楽しくなってきた。
11:00 ミーソン遺跡着。


山々に囲まれた遺跡。








