2012年08月

2012年08月27日

読書録「日本の外国人労働力」を読む



副題~経済学からの検証~

中村 二朗、内藤 久裕、神林 龍、川口 大司、町北 朋広 著

日本経済新聞出版社




わが国の生産に従事可能な人口の今後の推移→減少が予想されてる
                              労働供給の不足
                                  ↓
                              労働力率上昇
                              生産性を高める
                              外国人労働者の導入


高度な技能・技術を身につけた外国人労働者の受け入れについては
受け入れ国に一定のメリットがあることが分析されている事例が多くある。

単純労働者の場合は?

外国人労働者と自国民労働者の関係(代替的か補完的か)
受け入れのためのコストの存在
自国民労働者への賃金以外の影響など

色々な要因が影響し、その効果を厳密に把握するには多くの困難が伴う。

また、高度な技能・技術を身につけた労働者と単純労働者では
社会的な需要人数が大きく異なる。

業種、学歴など具体的な資料から検証されている。




dragonfruit123 at 15:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読書録 

読書録 「多文化共生社会と外国人コミュニティの力

多文化共生社会と外国人コミュニティの力  ゲットー化しない自助組織は存在するか?


吉富 志津代著
副題「ゲットー化しない自助組織は存在するか?」

目次

序章  グローバル化する社会

第1章 在日外国人をとりまく社会の変遷

第2章 移民政策の国際比較(ドイツ、オーストラリア、カナダ)
     群馬県大泉町の労働者受け入れ実態

第3章 自助組織の背景と形成~兵庫県の事例より~

第4章 多文化共生社会をめざすことの意味

終章  多文化コミュニティーセンター構想へ


日本や世界の移民を取り巻く環境や法制度について
具体的に描かれている。

キーワード:「市民権」「出入国管理」「社会統合政策」
       「外国人自助組織」「同化主義」「多文化主義」
       「単純労働」

「『1990年出入国管理及び難民認定法』一部改正」→身分関係の在留資格で門戸を開き、
                                多くの日系南米人が来日。
                              
「1951年 サンフランシスコ平和条約」
(在日朝鮮人が『帝国臣民』から一転して「外国人」と宣告された)
「『1982年 難民の地位に関する条約』批准」→在日外国人が国籍ではなく住民である
                             ことを優先される社会の扉が開かれる
経済格差による外国からの労働者流入が本格化:1980年代 労働者の流入本格化(イラン、タイ、フィリピン)
「1972年 日中国交正常化」 中国残留孤児・婦人に国費負担による日本への帰国の道が開かれる

「外国人」の突如の出現に慣れていない地域社会→さまざまな混乱。しかし混乱を乗り越えつつ
                               生活に密着した支援活動が開始された。

1995年の阪神淡路大震災の発生により、地域住民の隣人意識の大切さが見直される。
外国人も含む地域の街づくりへ
市民活動 → 善意の個人による奉仕活動からNGO/NPOという組織的な活動主体へと移っていった。
1998年 特定非営利活動促進法の制定へ

公的機関のスリム化+市民活動の高まり+外国人の増加と定住化

関西における外国人コミュニティの自助組織の取り組みや生活について
とてもわかりやすく描かれている。

時代の流れや、各国の政策などについても言及されていてわかりやすい。







dragonfruit123 at 15:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読書録 

2012年08月17日

2012年 夏 モンゴルの旅4

サナバザル美術館

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「『サナバザル』とは1635年にウブルハンガイ県の
貴族の家に生まれたモンゴル初の活仏で
その名を冠した美術館。サナバザルは15歳の時
チベットでダライ・ラマ5世に宣言され、
モンゴル人として初の活仏となり、
モンゴルのダ・ヴィンチと呼ばれ、優れた仏教美術を
数多く生み出した。」

サナバザル作やその弟子による観音像や19世紀初頭
の画家シャラブの作品などがある。

モンゴルのお祭りTsamについての展示もある。
Tsamで使われるお面、装束、お祭りのVTRなど
観た。美術館の人がいろいろ説明してくれて
おもしろかった。

チョイジンラマ寺院博物館

第8代活仏ボクドハーンの弟の寺として
建立された(1908年)もの。
年1回行われてきたチベット仏教の
Tsam祭典(仮面舞踏)が最後に行われた
寺院。
現在はTsamに使用されたお面や楽器が
陳列されている。
Tsamは1993年に復活した。

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ウランバートルの象徴のお面。

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ツァムで使われる迫力のあるお面や
寺院の内装、とても興味深いものがある。
極楽浄土や地獄を再現したような雰囲気
の場所もあり、面白い。

どこの美術館や博物館でも
カメラ撮影には5ドルから10ドルくらい
払わないといけない。

モンゴルは伝統的な暮らしから
急速に変化しつつある。

携帯電話の普及、馬にかわってオートバイや
トラックなどの使用も地方でも進んでいる。

水道はなくてもテレビはあったりする。
ゲルの外にパラボラアンテナがたっていたり・・・

遊牧生活をやめ、現金収入をもとめて
首都や県、郡の中心に移り住む人が増えている。

ウランバートルでも中心部から少し離れると
そうした人たちの住む地区がある。
水道も引かれていないので、
給水所にポリ容器をもって水を汲みにきている
姿をみかけた。

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ウランバートル市のセントラルタワーには
ブランドのお店や高級レストラン(和食、韓国
料理、バーなど)。





dragonfruit123 at 13:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Mongol 

2012年 夏 モンゴルの旅3

テレルジからウランバートルへ。

午後3時頃到着。

首都にくると、
レストラン、お店などあり、
地方とは別世界だと思った。

お昼はテレルジで
肉うどんを再度食べる
ことになっていたけれど
やはり羊の肉は
苦手なので断って何も食べなかった。

ウランバートルに帰ってきて
気になっていた
ウズベキスタン料理の
レストランに入る。

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内装素敵。

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ピラフ、サラダ(馬肉、サワークリーム、玉ねぎ
ピクルスなどが入っている)。
それからモンゴルのビール。

モンゴルのレストランは、
日本に比べれば
「!?」と思う所もある。
けれど、地方から帰ってくると
首都はまさにオアシスのように感じた。

この後、町中を散策。
ソウルストリート周辺。

ミニスーパーなどがあるけれど
ほとんど輸入品。
国内に産業があまりないんだと思った。
レストランや個人商店などはある。
物価もそんなに安いと思えない。


モンゴル4日目。

ウランバートル市内近郊散策。
ホテルでタクシーを呼んでもらう。
1キロ700Tg。

2か所行きたいところがあった
(ダンバダルジャー僧院とザイサン・トルゴイ)。
徒歩で行くには遠いので
タクシーで。


ダンバダルジャー僧院(ウランバートルより15キロ)

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『第2代ボグド・ジャンブザンダムバ活仏を偲び、
1761年~1765年に建立された僧院。
往時は25の僧坊などが建ち並び、1500人の
僧が居住していた。

1930年まで僧が居住していたが、
革命により僧院は廃止され、多くの僧は殺された。

現在、境内には修復された寺院、仏塔、ふたつの
鐘楼や碑楼などが残されている。

チベット風僧院は、
第二次大戦後、日本人抑留者の病院として
使われていたが、現在は廃墟。

当時この地で亡くなった日本人抑留者の
墓地がこの僧院の裏手にある。

同じ僧院はボランティア活動にも熱心で
貧困者に衣類や学用品などを配布している。』


ザイサン・トルゴイ(UB中心部より3キロ)

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ふもとのブッダパークにまず寄る。
台座は博物館になっている。

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すぐ横でビルの建設など。
ウランバートル市内、いたるところで
工事中。

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サイザン・トルゴイを目指して
階段を登る。

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トルガ。
幅3メートル、周囲60メートルの鉄筋コンクリートの
輪。
輪の外側にはモンゴル民族文様を背景に
ソ連とモンゴルの勲章とメダルが浮き彫りに
されて、内側はモンゴルとソ連両人民の
友好、相互援助をイメージしたモザイクに
なっている。

モザイクには、大日本帝国とナチスドイツ
の旗を踏折っている場面もある。

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ウランバートルの町が一望できる。

侵略に対する社会主義への賞賛が
語られているけれど、
社会主義体制の下では、
モンゴルでは、寺院の財産没収、僧侶の
処刑、多くの政治家の粛清などがあった。

ウランバートルには、政治粛清記念博物館が
ある。

ソ連崩壊後の1992年、モンゴルは民主国家として
新たなスタートを切った。
















dragonfruit123 at 12:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Mongol 

2012年 夏 モンゴルの旅2

3日目 テレルジへ。

2日目の市街散策時、
ウランバートルのPeace Av.を歩いていると
ゲストハウス兼旅行のアレンジをしてくれる
場所を見つける。ガイドブックにものっている。


テレルジはウランバートル東北東50キロにある
(車では70キロ程)の地点にある保養地。


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しかし、この日は雨・・・。

テレルジヘ向かう。9:30発。

1人1泊2日 3食 乗馬1時間で130ドル。
人数が増えると、1人当たりの料金は
安くなる。当日、自分以外にシンガポールの
人が一緒に参加。料金は80ドルだった。

道路は、まともな所と穴だらけの所といろいろ
あってすごい。
2時間のドライブ中に2件自動車事故をみた。

1つは追突、もう一つは3台を巻き込んでの
衝突事故。

この連れて行ってくれた運転手さんも
ご多分にもれず、前に車があると、
ライトでカチカチ合図をして、対向車が
向こうからくるのに
すごい勢いで抜かそうと
なんどもするので、本当に
その対向車と衝突するのでは、と思う
くらい怖い時もある。

路面もぬれたり穴ぼこ
だらけなので、本当にひやひやもの。

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市街地を離れると草原が広がる。
木の板で作った垣根やゲルがある。

テレルジ広い範囲にわたってキャンプ
(ゲルでの)がある。
私は亀石の近くのゲルに1泊することに。

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ホストファミリーのゲルで少し待つ。
それからゲスト用のゲルに通された。

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宿泊したゲル。

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ゲルの中。

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ストーブ。夏でも雨が降ると冷える。

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近所にもゲルがある。
岩肌のでた山に囲まれていて
絶景。
ゲルにはトイレやシャワーはない。
宿泊したところは水道もなかった。

ホストの家の外に水甕があり、
雨水をためていた。

他のゲルの人たちはそこで
皿を洗ったりしていた。
本格的にキャンプをしていた。

自分はそんなに用意をしてこなかった。
食事もついているからいいかな、と。

3食付きだったけれど、
苦手な羊肉の入ったメニュー
だったので、つらかった。

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ゴルリタイ シュル(羊肉の入ったうどん)。
ポットに入ったお湯と紅茶のパックも
もらった。

でも、このお湯が悪かったのか、
食事後、2時間か3時間して
猛烈にお腹の調子が悪くなった・・・・

水道がないので、しっかり煮沸しないと
いけないけれど、多分沸点に達しない
時点でポットにお湯をいれて
もってきてくれたのでは、と思った。

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その日の夜もずっと調子が悪い。
夜中何度も起きて
外のトイレへ。懐中電灯持ってきてよかった。

ポットのお湯以外
お腹の調子の悪くなる原因が
ない。

自分で持ってきた水だけ飲むようにした。

素敵なところだったけれど、
お腹の調子が悪く
楽しさが半減した。水、本当に気をつけたい。

本当にげっそりした。

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テレルジのシンボル亀石と馬。
馬や牛を放牧している。
乗馬もできる。


1日明けて翌朝。

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パンとジャムとお湯、紅茶のパック。
ポットのお湯はパスした。
そうしたらお腹の調子は徐々によくなった。

日本だと水道、蛇口をひねれば飲める水が
出てくるけれど、ここは違う。

ウランバートルでもペットボトルで水売っている
けれど、キャップをチェックしないと、
綺麗な水でない場合もあるとか。

お昼に迎えの車が来た。
ウランバートルからは、違う旅行者が、このゲルに
宿泊するためにきた。

1人は日本人、2人は中国上海の人たちだった。

上海の人たちは、フランス、ポーランドなど回り、シベリア鉄道で
4日間かけてモンゴルにきたと言っていた(!)。

帰路ではチンギスハーンパークに寄った。
銀に光る像。馬の足元は博物館になっている。
7000Tg(1500Tgで100円くらい)。400円くらいかな。


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草原に突然現れるので、ちょっと違和感がある。
けどモンゴルは首都以外は本当に人口密度が
低い。1平方キロ当り1.7人。
国土は日本の4倍。

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ウランバートルに戻る道すがら、ラクダがいた。
飼い主がいてお金を払えば乗せてくれる。

他、鷹匠のような人も別の場所でみかけた。

ゲルでの宿泊も、本当にキャンプのように
準備をするのか、ホテル感覚で泊まれる
場所を探すかよく考えていった方がいいように
思った。
宿泊した近辺にはお店も何もなかった。
私は食べ物まったく口に合わなかったし、
水にも困ったので、自炊する用意などしていけば
よかった・・・

ホストの人たちは、
食事をもってきてくれたり、
ストーブをつけてくれたり、
色々声をかけてくれて
やさしかった。









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