2012年02月
2012年02月27日
読書録 「やめられない」 ギャンブル地獄からの生還を読む3
病的ギャンブラーと家族、自助団体のとるスタンスに
ついて
「病的ギャンブリングは、ほかのどんな病気にも増して
本人よりも周囲の人が傷つく病気です。
アルコール依存症や薬物依存でも、家族が
被害をこうむることがありますが、
病的ギャンブリングの比ではありません。周囲が傷つく
頻度と度合において、病的ギャンブリングを超える
病気はないといえます。
家族は傷ついているのに、
その理解をなかなか得られない点でも
病的ギャンブリングは特異な疾患です。
例えば、病的ギャンブラーを夫に持つ
妻の場合を考えてみましょう。
病的ギャンブリングの二大症状である
借金と虚言によって
骨の髄まで苦しめられます。
夫がこしられた借金でありながら
妻もその責任を負わねばならない
と信じ、金策に走り、あるいは借金返済
のために、昼夜となく働き続けます。
立ち直ると約束しながら、夫は何度となく
借金を繰り返します。
早い話が騙され続けるのです。
・・・病的ギャンブラーの子どもを持つ親も、
妻に劣らず微妙な立場に追い込まれます。
まずこういう問題は家の恥ですから
親類縁者や知人には話せません。
・・・子どもがギャンブルで作った借金は
子どもの将来のためにも、取り除いてやるべきだと思って
しまうのです。
・・・しかもその借金の肩代わりは、決して一回で
終わりません。もうギャンブルはしないと誓約書
まで書かせたのに、数か月後、一年後には
前回以上の借金が判明しています。
この病気は<意思>の弱さからくるものではない、
という事実を知らないため、説教と尻拭いを
際限なく繰り返し、最後には、貯金も
年金も、家屋敷までも、借金返済につぎ込んで
しまいます。
こんな悲惨な状況に陥っても、親が相談に行く場所は
限られています。
・・・こうした悩める家族のための自助グループの
集まりが、ギャノマンです。
2010年7月現在で全国92箇所です。
・・・よく誤解されるのですが、このギャノマンの目的は
家族である病的ギャンブラーにギャンブルをやめさせる
ことではありません。
それどころか、病的ギャンブラーへの援助をやめること
こそが、ギャノマンの目的だといえます。
自分たちが無力であることを学び、ギャンブルはギャンブラー
本人の責任であり、借金を払うために家族が奔走し
働き続けるのはむしろ逆効果だということを学ぶのです。
病的ギャンブラーである本人がこのグループに参加
するように仕向けることも、ギャノマンの目的では
ありません
そんなkとはいくらやっても効果がなく、
無駄骨に終わり、こちらがくたびれ果てるだけです。
病的ギャンブラーの家族は、本人を救うためのスーパーマン
の役目を知らず知らずのうちにしてしまう傾向があります。
本人を救えるのは自分たちしかないと思い込み、
ありとあらゆる手立てを講じ、最後にはへとへとになってしまう
のです。
これだけ尽くしてやったのだから、本人がその恩義を感じて
期待に応えてくれるはずたと思いがちです。
家族はスーパーマンでもなく、また相手は意思や人間性を
失った病人ですから、期待がかなえられる事態など
百年たっても到来しません。
それよりは肩の力を抜き、本人への援助の手もさしのべず、期待も
せず、自分自身の生活を大切にすることを優先すべき。
もっと端的に言えば病的ギャンブラーは放置し
自分だけの楽しみと生き方を見つけることです。
借金まみれだから、そんな余裕などない。この借金を返すためには
こちらが働かなくてはならない。家族はそう思うかもしれませんが
よく考えてみてください。借金は本人の借金です。
本人以外は返す必要などもありません。
本人が考え、本人が返却すべきものです。
本人の責任を家族が取り上げていては、
本人の回復はいよいよ遠のき、問題は深刻化するばかりです。
わが子に向かって、親の借金を肩代わりするのは子どもとして
当然だろうと言う病的ギャンブラーさえいます。
まったくの本末転倒も甚だしいのですが、
長年親のギャンブル癖と借金に悩まされてきた
息子、娘は金縛りにあったように、そうかと思ってしまいます。
そしてせっせと稼いでは親の借金を返済し続けるのです。
こんな具合に病的ギャンブラーと一緒に暮らしていると
知らず知らず平衡感覚を失い、客観的に物事がみられなく
なるものです。病的ギャンブラーが繰り出す嘘と借金が
家族の判断力を歪めていくのです。
家族は病的ギャンブラーとは一線を画さなければなりません。
いくら冷たいとののしられても、病的ギャンブラーとは
一線を画さなければなりません。
距離をとっていれば、巻き込まれる危険も減ってきます。」
2012年02月25日
読書録 「やめられない」 ギャンブル地獄からの生還を読む2
の活動が紹介されている。
「すべての病的ギャンブラーは
いわゆる<三ザル>状態になっている。
見ざる、聞かざる、言わざる。
自分の置かれた悲惨な状況や家族の苦しみを
見ない、他人の忠告や助言を聞かない、自分の
気持ちを他人に言わない。
病的ギャンブラーは自分でも知らぬ間に<三ザル>状態
の孤独地獄に陥っている。
治療には、何よりもこの<三ザル>地獄から借金を解き放つ
必要がある。
ところが<聞かざる>ですから、説教しようとしても、
ピタリと耳を閉ざしてしまう。ギャンブル地獄のまっただ
中にいても、<見ザル>にはその地獄が見えない。
見ろと言っても、他人の注意を聞き入れないので
見るようになるはずがない。
「だったらどう考えているかいってみろ」と問い詰めた
ところで<言わザル>ですから下を向いて口を閉じる
だけ。
「すみません」とのなかなか言えない。言えば
次々と非難の声が浴びせかけられるので
じっと頭を下げ、嵐が過ぎるのを待っていればいい。
通常どんな説教でも半日続くことはない。
身を硬くして頭を下げ、じっとしていれば、
たいてい説教する側がしびれを
切らし、説教と叱責を切り上げる。」
「そのうちこう着状態を見かねて、とりなしに入る
人が必ず出てくる。
・・・これが病的ギャンブラーにとっては何よりの好機。
口にする科白はもう決まっている。」
「スミマセン。これからは一切ギャンブルはしません。」
このとき涙のひとつでも流せば、もう最高の舞台になる。
周囲の者はほっとし、これで一件落着したような気持になって
しまいます。
・・・本人は確かに口を開きはしましたが、実際は
何も言っていない。「スミマセン」は口先三寸から
出ている。
ところが周囲はコロリとだまされ、・・・
本人が反省したとみなされ、型通り借金の肩代わり
が話し合われ、解散になる。
病的ギャンブラーの思惑通り、事が進んでしまう。
自助グループは、こうした通常の説教の場、教え諭し
の場とは、まったく対局的な位置にある。
説教する人はいない。全員が病的ギャンブラー。
これまでは、ひとこと何か言うたびにその十倍の叱責が
返ってきたので、黙っておくのが最善の策だった。
しかし、自助グループではたとえ黙っていても拍手がおこる。
「パスします。」といっても拍手。
しかも周囲の仲間たちは真剣に耳を傾けている雰囲気がある。
・・・ここではしゃべっていいのだと本人は何十年かぶりに
感じとり、自分の気持ちを吐露し始める。」
読書録 「やめられない」ギャンブル地獄からの生還を読む1
帚木 蓬生著
まえがきより
「”やめられない”病気は多いものです。
・・・アルコール、覚せい剤、シンナー、睡眠薬
頭痛薬、風邪薬、過食、ギャンブル、買い物
放火、万引、露出症、・・・それに最近は
煙草も加わりました。
どうやら人間の脳は同じことを無制限に続けていると
それにはまてしまう機能と構造をもっているようです。
・・・同じやめられないでも、自分自身や社会に対して
たいした害を与えない物質や行為もあります。
お茶や水、コーヒー、ジョギング、勉強や仕事。
放火や万引き、盗撮、露出症、下着泥棒などは
犯罪として取締の対象になっています。
これもやめられなくなると、法律による
締め付けも功を奏しません。
社会的地位のある人が何度も盗撮で捕まったり、
・・・新聞の社会面をにぎわせます。
その行為によって本人は一挙にメンツをつぶして
しまいます。
覚せい剤で有名人が何度も逮捕されるのは
もう周知の事実です。
有罪判決を受け、刑に服してこりごりしたはず
なのに、出所してしばらくすると
また同じ行為を繰り返すのです。
”やめられない”の代表例でしょう。
このように”やめられない”病気は数多くありますが
”やめられない”度合いの
強さと本人の人生上の破滅はいうに及ばす
周囲の人々をとことん苦しめる点において
”やめられない”病気の最悪のものは
ギャンブル依存症、正式病名でいえば
病的賭博でしょう。
中途退学、失職、転職が早晩待ち受けて
いるのです。
家庭をもったところで、家庭不和と離婚が
やってきます。
社会的な信用は失い、家族や親類からは忌み嫌われ
軽蔑されます。そしてさらに悲惨なことには
そんなギャンブル地獄に転落するまでに
借金返済のために家族が甚大な出費を
してしまっているのです。
何百万というのはまだましなほうで、
数千万円、中には一億を超える
例もあります。
・・・それでいて当の本人はケロッとしていて
心身の病気になってしまうのは周囲の家族です。
この”やめられない”ギャンブルには、説教も誓約書も
一切役にたちません。
ましてこりごりした挙句の本人の改心もありません。
いったんこの”やめられない”地獄に堕ちてしまうと
治療をしない限り、這い上がることはできません。
こんな恐ろしい結果を生むからこそ、世界中の国でギャンブル
には多くの規制がかけられているのですが、
唯一の例外が日本です。
ギャンブリングが大手を振ってあるきまわり善良な
人々を食い散らかしているのがこの日本なのです。」
生々しい症例が紹介されている。
”やめられない”が本当に病気で周りの家族をどんどん
不幸にしていく様子が描かれている。
できた借金の埋め合わせは本人の病気を根本的に
治すものでないこと、とにかく治療させ自分の責任は
自分でとらせる必要があるのだと思った。
2012年02月19日
読書録「ギャンブル依存症」 田辺 等を読む3
「事例② 平凡な中堅社員 - どこか納得いかない自分を離れて
ギャンブルに没頭する前には、どこか漠然とした自己不全感があった。
たまたまの賭けでの勝ち(5万円ほど)が単調で退屈になりかけて
いた人生を一変させた。
自宅では妻が障害のある次男の養育に尽力している。妻の大変さは
わかっているつもりでも、自分はもともと不器用で何もできない。
事情があるだけに、妻にあまり要求もできない。家の外で
発散したい気持ちになる。
働くのが嫌いではないが、大卒の人が中心の職場では、何も
主張できず、職場での立場に納得できないところがあった。
ギャンブルに出会ってから人柄が様変わりしたようになる。
勝ち目があるはずと夢中になり、賭けるお金が増える。
消費者金融から容易に借りてしまう癖ばかりが残った。
最後は親兄弟に尻拭いしてもらうことを繰り返した。
仕事が好きでも、学歴で負けてしまい出世争いでは
遅れをとる。ただただ上司の命令に忠実となった。納得
できないことがあっても、何らかの自己実現、自己表現を
望まないようになった。職業生活での自己実現という欲求は
どこかに飲み込んでしまった。その分、アフターファイブと
週末に彼は思う存分遊ぶようになった。」
「ギャンブル依存症が発生しやすい心とは
・日常生活での充足感・充実感に欠けていた
・自分への肯定感がもてない、他者と比較してダメな感覚があった
・仕事(学業)に取り組んでいる自分が本当の自分ではない気がする
・何を目標として生きるべきか見失っていた
・空虚・空白、憂鬱な気分が続いた
これを心理学的に言い換えると
①フラストレーション(欲求充足不全)の問題
②セルフエスティーム(自尊感情)の問題
③アイデンティティー(自己同一性)、とくに職業的アイデンティティーの問題
④空虚さや軽い抑うつ感等、気分の問題
これらが背景にあり、このような状況でギャンブルに出会い
勝負にドキドキし、興奮し、ついに勝利し、勝利の達成感と
戦利品の数万円の金銭を得た。
彼らは有能感を得た。勝ちはすっきりした気分をもたらせた。
気分は軽快になり、日常生活での不満は一時的にも吹き飛んだ。
自分はすごいと思った。そして結局のところ、皆一様にギャンブルを
やりすぎてしまった。」
読書録「ギャンブル依存症」 田辺 等を読む2
ギャンブルを初体験したビギナーの時期に
1日あるいは1勝負で数万円の金額を勝った
という、いわゆるビギナーズラックを経験して
いる人がかなり多くいた。
しかし、もっとも多い共通項、それはやはり
借金の問題。それも消費者金融、いわゆる
”サラ金”からの多重債務。
相談直前の、最後の段階では、ほぼ全員が
借金持ち。
なぜそんなにもギャンブルに没頭するのか。
ギャンブルに没頭していく理由は
単純かつ単一ではない・・・。
しかし、多数の事例を丁寧に解析してみると
複数の事例でよく似た状況、同じような
心理的背景があって、
ギャンブルに没頭していったケースがあることが
わかった。
事例① 挫折したスポーツマン―僕はそれ以外の道をみつけられなかった
青年期の発症、スポーツ選手の挫折
最近の相談では、息子の借金問題の後始末をする両親の
相談は珍しくない。ギャンブルによる借金の問題をもつ
青年層は決して少なくない。
全日本選抜あるいはプロスポーツのドラフトでノミネートされた
実績のあった青年たちが、三十路を過ぎてギャンブル漬けに
なっていた。相談の時にはすでに借金漬けになっており、
その後始末一つできずにいた。年老いた親たちは
かつての自慢の息子が無残な姿になって、妻子を泣かせているの
みて、たまらず相談にきていた。
親たちは将来を期待され、周囲からうらやましがられるような
選手であった息子たちの”転落”を嘆く。そして
親としての”解釈”を付け足す。
彼らは少年の頃から、よい選手になるべく鍛えられた。
親たちは活動のための部費を払い用品を買い揃え、
試合場までの搬送や送迎に日夜協力した。
親たちはしばしば子どもたちを文武両道に育てたがる。
子の数の少ない現代は、そういう手のかけ方が可能。
ハードなサッカーの練習の後に塾に通う、さらにサッカー
が状巣になるためのサッカー塾もできた。時間は限られている。
スポーツ以外のことで自己形成に努める時間が
少なくなるのは当然。
「専門のスポーツ以外のことでも、自分にとって大切なものを
持つべきだ。長い人生ではそのようなことも大切だ」と教える
監督やコーチは、まだまだ少数。その道以外での自分という
ものは考えずに、つまり広い視野の中での自己形成を
果たせずに、彼らは育ったのです。
一時、名を馳せたオリンピックの格闘技のゴールドメダリストは、
五輪後の人生が定まらず取り巻きの求めに応じては
宴の席に出席し続けたという。華やかな栄光あるゴールド
メダリストとして紹介されることだけが人生となり、実際の職業
や家庭生活では他者に依存するしかなかったという。
彼らは人生の何たるかをスポーツを通して知り、スポーツで
実感した。惜しむらくは、それ以外のことで自分を実感する
ものを何も見いだせなかった。勝利で得た達成感や自己への
満足感をスポーツの世界から退かねばならなくなった時に
新たな人生の原動力にできなかった。
スポーツ選手が目標達成後に心の空洞を埋められなかったり
その後に自分が歩んでいくべき自分の道しるべが見いだせ
なかったりすることはしばしば報告されている。
いわゆるバーンアウト、燃え尽き現象の無気力や憂鬱。
そしてこの「燃え尽き」は依存症が発生し繁殖しやすい
培地。
それまでスポーツで体験していた達成感、満足感をギャンブルでの
勝利に置き換え、すり替えて行った。手っ取り早く”勝利の達成の類似品”
を求めた。
ギャンブルに勝つことが”かりそめの自己実現”を果たした。」