2005年12月

2005年12月24日

メキシコ::サカテカス

この冬休みメキシコに行った。
シティ周辺の中央高原地帯と少し北に足を伸ばして
サカテカスを訪問。

サカテカス16世紀にメキシコ随一の銀鉱として栄えた町。銀で巨万の富を得た貴族などが
競って豪邸や教会建設に資産をつぎ込み、壮麗なバロック建築が建ち並ぶ町並みは
今もそのまま残っている。古い石畳の小径、噴水のある緑豊かな小広場、大きな教会
などがある。
この地方の砂岩は赤みがかった色をしている。その石で造られた建物が
全体に桃色を帯びているため、ピンクシティという愛称ももっている。

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標高2496m。
見所
ブーファの丘とケーブルカー 
ケーブルカーに乗ると愉快なガイドがジョークを交えて町を解説。早口すぎていっていることを理解するのは難解。

カテドラル
ウルトラバロックの華麗なる装飾。チュリゲラ様彫刻の傑作。銀鉱山で栄華を極めた貴族たちがその富を惜しげもなくつぎ込み、1620年から140年の歳月をかけて建造。
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エデン炭鉱
トロッコで炭鉱に入る。中は岩石の展示やガイドによる炭鉱の歴史や炭鉱内を走る鉱脈を見ることができる。

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at 10:26|Permalink Mexico 

2005年12月05日

ポーランドという国4::十九世紀

ポーランドという国4::十九世紀

十九世紀に入って、ポーランド軍は、ナポレオンに与して戦い、
ワルシャワ公国をつくる。ナポレオンの敗北により、ウィーン会議
(1814-15年)で再分割され、主に、クラクフ共和国と
ロシア皇帝支配下のポーランド王国となった。

人々はロシア皇帝の圧制に対し、自由と独立を求め、
蜂起につぐ蜂起を行った。
1830年、ワルシャワでの「十一月蜂起」が社会革命までに
到らずに終わったとき、多くの人がシベリアに流刑になり、
また「大亡命」と言われる8千人から1万人の亡命者が出た。

作曲家ショパンは、この「十一月蜂起」の敗北を異郷で知り、
このとき、練習曲ハ短調「革命」が生まれたと言われている。

帝政ロシアはこの蜂起の後、ヴィスワ川に沿った丘の上に
ツィタデラ(要塞)を建てた。
そこには550門の大砲が市内に向けて据えられ、
また要塞の中には政治犯用の獄房があり、
「処刑の門」と呼ばれるところには、たくさんの十字架も
見られる。

愛国者たちは、再度大蜂起を呼びかけた。
1863年の「一月蜂起」。
ロシアの革命運動家も加わり、一年あまりもつづいたが、
今回も敗北に終わり、多くの処刑者・流刑者を出した。
これ以降ポーランドは単にヴィスワ地方と呼ばれるようになった。
ロシアの厳しい同化政策はポーランド語を学校から排除した(1866年)。


at 21:24|Permalink Poland 

オモイダシリョコウ::2004イタリア4

3月29日
貧乏旅行なので、もちろん宿はYH。
Ostello Piero Rotta.に前日夜到着し、
朝が明けた。
9時30分の電車で、コモ湖に向かう。
イタリア語を以前習っていたが、使おうとしても
なかなか出てこない。
チケット窓口:sportello
○番線   :binario ○
そうだった。
イタリア人、話の中での身振り手振りが大きく、
声も大きい。イタリア人の手を後ろ手に縛ったら
話さなくなるかも。それくらいコミュニケーションに
欠かせないように思う。
声が大きいから怒っているのかと思うとそうではない。
それに、道などを聞いてもとてもフレンドリーで
明るい人々。

コモ湖は、ミラノの Porta Galibardiから
一時間。
駅を降りると涼しい。歩いて湖畔へ。風景が美しい。
山と湖。湖めぐりをする(4.6EURO)。
途中湖畔の船着場に止まって人を乗せたり下ろしたり。
Este家の別荘もあった。
Funicolar(登山列車)で展望台へ。Comoの街を見渡す。

ComoからChivasso経由でAostaへ。
鈍行列車で、着いたのは夜半になった。
でも、列車からの風景は、美しい緑の山々。
時に丘の上に古い教会がのっている。
絶景。

この日は、Aosta泊。 Hotel Le Pageot (36 EURO)。
たくさん移動した日だった。


at 21:19|Permalink Italia 

オモイダシリョコウ::2004イタリア3

3月30日
アオスタ
ローマの遺跡が街の中に。
朝市がでていてにぎやか。
朝、目覚めて驚いたのは、目の前に
そびえたつ美しい山々。
街のどこを歩いても、山に囲まれている。

アオスタからクールマユ―ルへ向かう。
バスではMorgexを経由。
クールマユ―ルはアオスタ渓谷をさらに
進んでいくので、山々がもっと間近に。

クールマユ―ルは小さな街だか、ロッジや
ホテルなどたくさんある。モンブランやシャモニー
にいくバスも出ている。

15時38分 トリノへ向かう。
トリノは他のイタリアの街と雰囲気が違う。
天気もどんよりしていて、ポー川やその周辺は
中欧の街、プラハやブダペストに似ている。
アールヌーボー調の重層な建物が多いからだろうか。


at 21:18|Permalink Italia 

オモイダシリョコウ::2004イタリア2

トリノの街を散策。
目抜き通りにお店がならぶ。
ミラノで手に入りにくいものも
ここでは、比較的簡単に手に入る、と
ガイドブックにある。
私はあまり関係ない世界だけど、
ブランドが好きな人は買い物に
便利かも。
カフェがたくさんある。
私は古いAbrigo(?記憶が定かではない)というカフェに入る。
感じがとてもいい。カップチーノ最高。

トリノからジェノバへ。
ジェノバの鉄道の駅は、数あり、
ただのジェノバ駅はない。
Genova Brignoleで下車。
トリノに比べると日差しがきつい。
ジェノバは、他の都市の人々と少し
気質が違うらしい。
ファッションにもそれが反映されているとか。
落ち着いているようす。

荷物を置くために、YHへむかう。
ジェノバのYHは、海を前に丘の上にある。
眺めがよい。


at 21:16|Permalink Italia